マスカレイド (名探偵コナン 降谷零)


「だからーわたしはもううんざりだって言ってるの!」
「何度も言ってますけど、それならさっさと終わりにすればいいじゃないですか」
「それができたらこんなに苦労してないってわたしも何度も言ってるでしょー」

机の上には空になった缶や瓶が幾つも転がっている。自分は片手で余る程度しか飲んでいないことから、既に彼女が相当な量のアルコールを摂取していることは明らかだった。何カ月かに一度、こうして呼び出されたかと思えば彼女の酒盛りに付き合わされる。話の主題はいつも同じで、その結論も変わらない。要するに愚痴を言いたいだけなのだ。

「あーーはやくもどりたいー。みんなにあいたいー」
「それも聞き飽きました」
「そりゃあ定期的にもどれるあなたにはわからないでしょうね!」
「連絡は取ってるんでしょう、それで十分じゃないですか。今の立場を考えればそれも危険過ぎるくらいだ」
「『潜入操作中は如何なる理由があろうとも立ち寄るべからず』わかってるわよ、迂闊なことしたら自分だけじゃなくてみんなにもめーわくがかかることくらい」

それでもどうしようもなく耐え難くなる時があるのだ。と呟いた本音を飲み込むように、彼女はまたアルコールを飲み下す。この呼び出しが彼女の中である一定の限界に達した時に行われることは随分と前から気付いている。そして、浴びるように酒を飲み、呂律が回らなくてなりながらも、その実、彼女が我を失ったことはこれまでに一度としてないということも。

「ねぇちょっと、きいてるの? ××××」

こういう時の彼女は、かつての名前で自分のことを呼ぶ。それは彼女と初めて会った時の名前であり、互いに潜入をしていた時のものだ。わざわざ明かし合うようなことはせずとも、その件が終結する際にそれぞれの所属は自ずと耳に入っている。だから、彼女は自分が何者であるのか、本当の名前すらも知っているはずだ。にも関わらず、彼女は決して自分のことを『降谷零』とは呼ぼうとしない。その理由の根底にある彼女なりの線引きを知っているからこそ、自分はこうして今日も呼び出しに付き合っているのだろう。

「聞いてますよ。こんなに長くなるなんて思ってなかったって話ですよね」
「そうよ。せいぜい2週間、長くても1カ月って話だったのに、もう1年以上よ、1年!! 話がちがうなんてものじゃないでしょ」

1カ月。それが当初、彼女の所属している機関が出した潜入期間だったという話も、それこそ耳にタコが出来るくらいに何度も聞かされた話だ。1カ月という話が1年以上にも及べば、それは確かに話が違うと言いたくもなるだろう。裏を返せば、この潜入に対して彼女は1カ月の心積もりしか出来ていなかったということだ。潜入に求められるのは自己の偽りであり、作られた人物像を演じ、本来の自己の一切を秘匿する。危険度の高い潜入であればこそ、自分が何者であるかを悟られるということは己の死に直結することになる。ほんの僅かでも己を出すことは許されない。だからこそ、潜入期間に見合った心積もりをしていなければ、精神が磨り減っていくのは当然の帰結と言えた。

「それで、あなたは終わりにしたいんですか」
「終わりにしたい。って言ったら助けてくれるの?」
「あなたが本当にそれを望むのであれば構いませんよ」
「……ほんっとやさしくない」

優しさなんて最初から求めてないくせに。喉まで出掛かる言葉は、今日もまた音になることはなくアルコールと共に飲み込まれて消えていった。