↑new
「そういえばさ、お姉ちゃんは結婚とかしないの?」
「特に考えてはいないですね。急にどうしたんですか、隼人君」
「だってお姉ちゃんっていわゆる結婚適齢期ってやつじゃないの? 気になるじゃん」
「御子上……そういうことはいくら身内であっても、女性に聞くのはどうかと思うぞ」
というか、こんなところまで付き合わせてるお前がそれを聞くのか。それとこれとは別! そんな会話をしている隼人君と陸奥さんを見ながら、私は今言われたことを考えてみた。結婚、というのは一般的な女性は憧れるものなのかもしれない。ただ、私は物心ついた頃からこの屋敷でずっと隼人君のことを見守っていくと決めていたため、恋愛とかそういう事柄について考えたことがなかった。これまでずっと縁遠いものだったのだ。隼人君との関係が変わったとは言え、彼の傍で見守っていたいという気持ちに変わりはない。だから、結婚、というものに対する姿勢も変わらないのではないかと思う。
「逆に聞きますが、隼人君は私が結婚しても良いのですか?」
「お姉ちゃんが結婚したい相手が居るなら僕は止めないよ。止める理由なんてなくない?」
「分かってないようだが、結婚するということは嫁に行くということだ。つまりお前の傍から居なくなるんだが、それは「ダメ」
「僕の傍から居なくなるなんて、ぜったいダメだからね!」
「はい。ですから私は結婚はするつもりはないですよ。隼人君の傍にずっと居ると約束しましたから」
「聞くところによると結婚は女性の憧れだと言うが、おまえはそれで良いのか? 」
「結婚願望もあまりありませんので。誰かに好意を抱いた経験もこれまでないですし」
私が隼人君の傍にメイドとして仕えることを志願した際に、お義父様もお義母様も反対されなかった。だから私は当然これかも隼人君のために生きていくつもりではあるのだが、もしも両親が私に結婚を勧めることがあればもしかしたら私はそれを受けるかもしれないとは思う。両親と隼人君を秤に掛けることはできない。けれども、私を引き取って育ててくれたのは紛れもなく今の両親であり、こうして隼人君の傍に居ることもできなかった未来もあったのだ。両親はきっと私に無理強いをすることはないけれども、それが必要となれば私は結婚をするだろう。将来御子上家を背負う隼人君のためになるのであればなおさら。いずれにせよ、今考えても仕方がないことであり、結婚するつもりはないというのは現状の私にとっては嘘偽りのない本音だった。
「うーん、でもやっぱり僕のせいでお姉ちゃんが結婚できないのはちょっと悪いかなって思う」
「でも居なくなるのは嫌なんだろ」
「それはぜったいイヤ。……あ、そうだ! 陸奥と結婚すればいいじゃん。ナイスアイディアじゃない?」
「いや、なんでそうなるんだ」
「陸奥は僕の側から絶対に居なくならないでしょ。お姉ちゃんも僕の側に居る。ほら、相手としては丁度良いじゃない。それに、陸奥はお姉ちゃんのこと好きでしょ。お姉ちゃんも陸奥のこと嫌いじゃないよね?」
「そうですね、陸奥さんなら良いですよ」
「だから、おまえも少しは考えることをしろ。秋津! 御子上をあっちに連れてってくれ」
名案だ! というように語る隼人君に対して陸奥さんは深く溜息を吐いたかと思うと、秋津さんに頼んで隼人君を遠ざけてしまった。私としては隼人君の考えは悪くはない案だと思っている。結婚したいわけではないけれども、その相手が陸奥さんであればしてもいいかな、とは思う。セキレイの皆さんが隼人君の側から居なくなることはもうないと聞いている。今はセキレイと葦牙という結び付きがあり、皆さん自ら隼人君を選んでくれているということも分かっている。それでも、絶対はないから。結婚は相手を縛り付けるものではないけれども、私と陸奥さんが結婚することで陸奥さんがこれからも隼人君の側に居てくれる可能性が少しでも増えるのならば、それは意味のある結婚と言えるのではないかと思う。そんな私の考えはきっと陸奥さんにはお見通しなのだろう。私の方に向き直った陸奥さんは、呆れ返っていることを隠そうともしない顔をしていた。
「おまえのことだ、どうせ結婚したら俺がずっと御子上の側に居てくれる、とでも思っているんだろう」
「その通りです。良く分かりましたね」
「前に一度頼まれてるからな。普段のおまえの様子を見てれば、考えそうなことくらいは分かる」
「では私と結婚して下さいますか?」
「お断りだ。今のおまえとは結婚する気にはならない」
「別に今すぐでなくても良いですけれど」
「そういうことじゃない。少しは自分を持て、ということだ」
陸奥さんのおっしゃっていることの意味が私には良く分からない。誰かに強要されたわけでもなく、私は自分で考えて結論を出している。確かにその考えを提案したのは隼人君ではあるが、それを吟味して選択したのは私である。そこに誰かの考えは介在していない。私なりの考えをそのまま伝えると、陸奥さんの眉間に刻まれた皺は更に深くなった。私の理解が悪いせいで、何だか申し訳ない。「俺が言うことでもないと思うが」と前置きをした後に陸奥さんは、物分かりの悪い私にも分かるように噛み砕いて説明をして下さった。
「セキレイが葦牙と婚ぐ際には、自らの葦牙に対して恋愛感情に近いものを抱くことが多い。特にセキレイと葦牙が異性同士の時はその傾向が見られる。ここまではいいな?」
「はい。うちにいらっしゃるセキレイの皆様はどちらかと言うと、隼人君の仲間、という印象が強いですが」
「それは御子上はそう望んでいるからだろうな。アイツはセキレイを恋愛対象としては見ていない。だからこそ、他の連中も今ではアイツのことを葦牙として認めているんだろう。まぁ独占欲はそれなりにあるみたいだがな」
「隼人君は皆さんのことが大好きですからね」
「御子上のことは今はいい。俺が言いたいのはセキレイでさえ、婚ぐ際にはそこに相手への好意が付随するということだ。おまえはどうなんだ?」
陸奥さんがおっしゃっているのは、つまり「結婚したい」と私は言うがそこに感情は伴っているのか、ということなのだろう。陸奥さんのことは嫌いではない、隼人君に笑顔を取り戻してくれた人を嫌いになるわけがない。とここまで考えたところで陸奥さんが私に伝えようとしていることが分かった。あぁ、確かにこれで結婚をして欲しいだなんて失礼にもほどがある。
「ごめんなさい、陸奥さん。私、隼人君のことしか考えていなかったんですね」
「分かったならいい、この話は終わりだ。もう軽はずみなことは言うなよ」
「こんなこと、陸奥さんしか言いませんよ」
「……俺は御子上の発言を否定した覚えはないんだがな」
「隼人君のどの発言のことでしょうか?」
「自分で考えろ」
額を弾かれると、それっきり陸奥さんは黙り込んでしまわれた。考えることが沢山あり過ぎて、何から考えたら良いのか分からない。けれども隼人君についてきたことで時間だけは沢山あるから、まずはその順番を整理するところから始めようと私は思った。そうすればきっともやもやとした頭の中もすっきりするはずだから。
鶺鴒計画が終わりを迎えてから数ヶ月が経った。「つまらない行きたくない」と言いながらも隼人様も学校へと行って下さるようになった。これはセキレイの皆さんが毎日交代で学校まで隼人様の送り迎えをして下さっている御陰だろう。鶺鴒計画が始まってからはずっと学校をお休みをしていた。長谷川さんも私も、隼人様が笑顔を浮かべていることが嬉しかったから、それを咎めようとはしなかったからだ。後からそのことをお聞きになった旦那様にはお叱りを受けてしまったので、隼人様がまた学校へきちんと通われているということについては鶺鴒計画が終わってとても良かったと思う。このまま卒業まで通って下さると良いな。などと淡い期待を抱いたのが間違いだったのか。暦は3月を迎え、終業式の近付いたある日、隼人様が突然学校を辞めると言い出したのだ。
「隼人様、もう一度おっしゃって頂いても宜しいですか?」
「だから、僕は3月で学校辞めるって言ってるの」
「このお話、旦那様にはお伝えになったんですか?」
「うん。パパもやりたいことがちゃんと見付かったならいいって言ってくれたよ。あと、長谷川にももう言ってあるから」
「でしたら、私から言うことは何もありませんね。差し出がましいとは思いますが、お辞めになられてどうされるおつもりなのかお聞かせ願えますでしょうか?」
お二人が既に許可を出されているのであれば、私は当然それに従うまでだった。最近ではご学友とも少し打ち解けてこられている様子だったので、隼人様に同年代のご友人が増えることを期待いたこともあって残念に思う部分もある。けれども『つまらないから辞める』わけではなく、隼人様がご自分でやりたいことを見付けられたのであれば、それを止める理由は私個人にもなかった。恐らく旦那様や長谷川さんも同じ考えを持たれているのだろう。だから、隼人様が何をやりたいと思われたのか、それを聞くのはただ単に私が気になった、本当にそれだけの理由に過ぎなかったら、私の問いを受けてどうして隼人様が嬉しそうな顔をするのか全く分からなかったのだ。
「僕ね、他の国にも”セキレイ”の痕跡がないか探そうと思うんだ。だってセキレイが日本だけに居たなんて決めつけじゃないか。神座島みたいに“セキレイ”の船自体が見付かるかもしれないし、そこまでのものじゃなくても何か見付かる可能性は十分あるでしょ。僕が皆について知ってることって少ないからさ。ゲームをしてる間は皆が居てくれるだけで楽しかったからそれで良かったけど、これからはそうもいかないじゃん」
“セキレイ”について私達が知っていることは少ない。彼らの由来からしても、ある日突然彼らが消えてしまう可能性も決して0ではないのだ。大好きな皆とこれからもずっと一緒にいるためにも、大好きな人達のことをもっと知る必要がある。きっと隼人様は自分でその答えに辿り着いたのだろう。これから先のことを嬉しそうに話す隼人様を見ていると、私もぜひとも応援して差し上げたいと思えたから、隼人様から「一緒に来てくれるよね?」と言われて無意識の内に「はい」と答えてしまっていた。
「……え、私も一緒にですか?」
「だからそう言ってるじゃん。皆で行くって決めてたから、わざわざ蜜羽が起きるまで待ってたんだもん」
「いえ、ですから私がご一緒してもお邪魔になってしまうのではないでしょうか」
「さすがに長谷川は連れて行けないし、そうなったら僕の面倒見てくれる人が居ないじゃん!」
「セキレイの皆さんがいらっしゃるじゃありませんか。陸奥さんや多姫さんはしっかりしていらっしゃいますし、私が同行しても皆さんにご迷惑をお掛けしてしまいます」
間違ったことは言っていないはずなのに、私が喋っていると隼人様の表情はどんどん曇っていってしまった。隼人様のおっしゃる「皆」に私のことを入れて頂けるのはとても嬉しいことだけれども、葦牙でもセキレイでもない私が着いていっても足手纏いにしかならないだろう。それは隼人様も分かっているはずなのに、いつか見たような何か言いたげな顔をして口を閉ざされてしまった。
「隼人様、あの、お誘いして頂けるのは本当に有難いことなのですけれども……」
「……僕のこと嫌い?」
「まさか! そんなことあるわけありません」
「なら、僕のこと好き?」
「勿論です」
「じゃあ、なんで駄目なのさ!」
「それは………」
嘘は吐きたくないが、本当のことを言うわけにもいかない。そう思って私が言葉を詰まらせていると、「あーもう!」と耐えきれない様子で隼人様が声を上げられた。ずいっと一歩私との距離を縮めると、私の顔を両手で挟み込み背伸びをして隼人様はご自分の顔を近付けられた。眼を逸らしようのないところまで距離を詰めると、同じ色の瞳でしっかりと私の瞳を捉えて、
「知ってるよ。僕のお姉ちゃんなんでしょ」
そう、隼人様はおっしゃった。彼がその事実を知っていたということに動揺してしまった私は咄嗟に何も言えなかった。それを何とか誤魔化そうと考えを巡らせていると思ったのか、隼人様は畳み掛けるように「長谷川にも聞いたんだからね!」と続けていた。彼が知ってしまった以上、最早隠し立てする必要はない。そのことを頭では分かっていても、これまで偽ってきた彼を前にして、何から、どんな風に話せば良いのか私には検討も付かなかった。
「似てるなんて皆に言われるまで全然気付かなかったけど、意識してみたらこんなによく似てるんだもん。なんで今まで気付かなかったんだろう」
「お前にとってはそれが当たり前だったからだろう。俺達にはそういう先入観がなかったからな」
「マスターと同じ色してる。そっくり」
「そうそう、ミコ様と同じ葦牙なんだもん。私達からすれば何で気付かないのかなって感じ」
「そのことを聞いた長谷川さんからは口止めされていましたからね。マスターにもお話することができず、心苦しい思いでした」
いつの間にか現れたセキレイの皆さんが隼人様と私を囲むようにして集まっていた。恐らく隼人様のことが心配で陰から様子を伺っていたのだろう。めいめいに話される中で、皆さんが随分前から隼人様と私の関係に気付いてたということを知り、更に驚かされた。隼人様自身でお気付きになるまで全くその気配を見せることのなかった彼らには感謝しなくてはならない。
「そういうわけだから、もう隠しても無駄だよ。そんな風に遠慮するくらいなら、僕と一緒に来てよ」
「一つだけ聞かせて下さい。どうして隼人様は私も一緒が良いんですか? 先ほどの理由が全てではないですよね」
「それは……が……から」
「? 申し訳ありません隼人様、よく聞こえなかったのでもう一度おっしゃっていただけますか?」
「だからっ、お姉ちゃんだからだよ! 家族と一緒に居たいと思ったの! 君はこれまでずっと僕と一緒に居てくれたから、これからも一緒に居て欲しいんだよ!」
わかった!? と半ば叫ぶようにおっしゃる隼人様のその言葉が、家族とおっしゃってくれたことがただただ嬉しくて、私は首を縦に振って応えた。
「隼人様が望んで下さるのであれば、いつまでもずっとお側におります」
「一緒に居て欲しいのはメイドとしてじゃないからね。お姉ちゃんとしてだからね! そこのところ間違えないでよ」
「はい。分かっておりますよ」
「全っ然わかってない!」
メイドとして隼人様に仕えていた期間の方が長いため、そうは言っても簡単には接し方を変えることは難しかった。けれども、彼がメイドではなく姉を望んでくれるのであれば、少しずつでも変えていきたいと思ったから
「これからもよろしくね、隼人くん。幾久しく」
彼の期待に沿う形で私は約束をした。
鶺鴒計画は「北の葦牙」という人の勝利で終わりを迎えたらしい。負けてしまった隼人様はさぞかし悔しがっていらっしゃるだろうと思っていたら、それよりもよほど大変なことがあったようで、屋敷に帰ってきた時の隼人様は泣き腫らした眼をして陸奥さんに抱えられていた。詳しい説明を求めると、葦牙の機能停止による全羽機能停止、記憶のリセット、そんなことを多姫さんが話してくれた。話通りのことが起きたのであれば、隼人様のご様子にも得心がいく。隼人様は陸奥さんと、セキレイの皆さんと出会ったことでとても変わられた。だからこそ、それを口にすることはなかったけれども、彼らが居なくなってしまうことを何よりも恐れていた。彼らと過ごした時間は決して短くはなく、重ねたその時間を忘れられてしまうということはただただとても哀しいと私ですら思うのだから。
「お帰りなさい、隼人様。ご無事で何よりです」
「……ただいま」
「今日はとてもお疲れでしょう?神座島は海の上ですし、潮風も沢山浴びたことかと思いますので、先にお風呂に入られてはいかがでしょうか。浴場の用意はできておりますので」
目線を合わせてそう告げると、隼人様はこくりと首を縦に動かし返事をして下さった。その姿を見て、衝動のままに抱き締めてしまいたいという考えが頭を過った。もしかしたらもう二度と会えなかったかもしれないと聞いて、顔には出さなかったものの自分の足元がおぼつかなくなるくらいに動揺していたのだ。『無事で何より』というその言葉は本当に心の底から出てきたものだったのだから。それに加えて、目覚めた彼らから『おまえは誰だ』と問われたこと。いくら記憶が戻ったからといって、その悲しみは簡単には拭いさることはできないだろう。未だに揺れているその瞳を見たら居ても経ってもいられない気持ちになった。それでも、掌をぎゅっと強く握り締めることで私はその衝動を抑え付けた。一介の使用人としての立場を越え過ぎているその行為は、今の私には許されていないのだから。
そのまま陸奥さんの方を見遣ると、心得ているというように首肯が返ってきたので、後のことは陸奥さんにお任せすることにした。鶺鴒計画について、今日起きたことについて何も知らない私よりも、当事者である陸奥さんの方が今の隼人様には必要だと思ったのだ。だからそのまま下がろうとしたのだが、服の裾を何かに引っ張られるような感覚があった。どこかに引っかけてしまっただろうかと思い後ろを振り返ると、顔を伏せた隼人様が私の服の裾を掴んでいらっしゃった。その力は弱く、きっと力を込めて前へ進めばそのまま外れてしまうことだろう。けれども私にそんなことができるわけもなく「隼人様。どうかされましたか?」と声を掛けるのは当然のことだった。
「あのさ…………っ」
「はい」
「……やっぱりいいや」
何かを言おうと上げた顔を、また伏せてしまわれた。掴まれていた布もするりとその手から放されると、私をその場に引き止めるものはなくなった。隼人様が何を躊躇っているのかは私には分からない。ただ、隼人様の中で決着が付く時が来たら、きっとお話して下さるだろう。この時の私はそんな風に考えていて、まさかそれが自分に関係することだとは思ってもみなかったのだ。