運命の果実2 (グリザイア テュポーン)


それからの私は姉として、時には親としてテュポーンと一緒に多くの時間を過ごした。出会った時には私よりも下にあったテュポーンの顔を見上げて話すようになるまでに、そう時間は掛からなかっただろう。私の体格が才能と引き換えに標準よりもかなり小柄であるということもあるが、成長期を迎えた彼の発達は著しく、眼を見張るものがあった。そして、大きくなるにつれて開いていった彼との距離は物理的なものだけに留まらず、それに伴うように彼が私を『姉さん』と呼ぶことは減っていった。
オスロが彼に教えているのが戦闘技術だけではないことはとっくに分かっていたし、その頃には自分が誰の代わりにここに連れて来られたのか、その答えにも辿り着いていた。細部に至るまで正確に『風見雄二』の代わりになれるテュポーンとは違い、私はあくまで代替品でしかない。本来ここに居るはずであった彼女がどうなったのか、そこから導き出される自分の役割を私は正確に把握していた。その上で、テュポーンのためになるのであればそれも構わないと受け入れている。真実、私が彼にしてあげられることなどそれくらいなのだから。

「ねぇ、風見雄二を知ってる?」
「知ってるわ。1度だけ会ったことがあるもの」
「なら、風見一姫のことは?」
「会ったことはないけれど、よく知っているわ」
「そうなんだ」

以前のように無邪気に慕っていた表情の豊さも消え去り、彼は無機質な眼で私を見るようになった。全てを知った彼からしてみればそれも自然なことだろう、私は彼とは一切何の関係もないただの女に過ぎないのだから。だが、それではきっと意味がないのだ。先日、久しぶりに顔を合わせたオスロが私に告げた風見雄二の生い立ちにまつわる事実。テュポーンを『風見雄二』にするには彼の辿った軌跡を寸分違わず辿らなくてはならず、そのためにも欠かせない出来事であるからこそオスロは私に聞かせたのだろう。己に課された役割を理解している私が、全てを知った上で役割を全うできるようにと。
テュポーンのためにと思う気持ちの中に、もしかしたらオスロに対する恩も多少は含まれているのかもしれない。少なくとも、実の両親と共に暮らすよりも衣食住に不自由のない生活は送らせてもらえたのだから。

「俺は風見雄二に似てると思う?」
「私が会った時の彼はもっと小さかったから分からないけど、よく似てるんじゃないかしら」
「あなたは、風見一姫とは似てないね」
「……私はあなたとは違うもの。私は彼女がするはずだったことを代わりに成し遂げるためにここに来たから」
「アンタは風見一姫じゃない。俺の姉さんじゃなかった」
「そうよ。私の名前はモイラ、風見一姫じゃないわ。がっかりした?」

次の瞬間には、眼前に銃口を突きつけられていた。その状況になっても私が一切動じなかったのは覚悟があったからではなく、銃を持つ彼の手が震えていたからだ。平静を装いながらも、テュポーンの中ではまだ私に対する感情の処理ができていないことは明らかだった。私としてもこの状況が訪れるのはもう少し先のことだと思っていたから、大方オスロが彼のことを焚き付けでもしたのだろう。しかし来てしまったのであればもう先延ばしは効かない。今でさえ銃身が定まらないのだから、後になれば更に決心は鈍ってしまうはずだ。次は、ないのだ。

「駄目じゃないテュポーン。無抵抗の相手だからこそ、油断は禁物よ。狙いはきちんと定めないと」
「なんでだよ、なんで……」
「それが私の役割だから、かしらね」

テュポーンの震える手に私が両手を添えて支えると、貼り付いた表情さえも崩れ、彼は最早動揺を隠すこともできなくなっていた。それを見て、そんなんじゃ『風見雄二』にはなれないわよ、と思う私と、だからこそ彼は『風見雄二』になれるかもしれないと思う私が居た。

「せめてあなたに最後に見せる顔は綺麗で居たいから、できたら頭じゃなくてこっちでお願いね」

彼の手を両手で握って、顔に向けられた銃口を心臓へと動かす頃には彼はもう私にされるがままだった。今にも泣き出しそうな顔をして私を見つめる彼は小さい頃と何も変わっていない。心を殺していた彼に見事に私は騙されていたということか。弟の本当の気持ちも見抜けないなんて、だからきっと私は『風見一姫』にはなれなかったのだろう。ならばこそ、尚更のこと私は『モイラ』としての役目を果たさなくてはいけない。そう思いながらも、必死に泣くのを我慢している、置いて行かれることを怖がるようなテュポーンの顔を見て私の決心も揺らいでいた。

「テュポーン、悲しまないで。あなたはこれでまた『風見雄二』に近付くのだから」
「でも俺には撃てないよ……」
「ならもう一度言ってあげる。私はあなたの姉ではないわ。あなたの姉を騙る偽物よ。偽物は始末しないと、ね?」

これ以上向かい合っていてもお互いにとって何一つ利点はない。そう判断した私は彼の指が外れてしまったトリガーに自らの指を掛けた。

「でも、あなたに姉さんと呼ばれるのは心地良かった。私なんかを『姉』と呼んでくれてありがとう」
「まって、姉さん……!!」

彼が私をそう呼んでくれたのはいつ以来だろうか。それを嬉しいと思ってしまったから、私は最後の最後で詰めを誤った。泣きそうな彼の顔を見ていると決心が鈍るのは彼じゃなく、私自身だったから。彼に引いて貰わなくてはいけないトリガーを私は自分で引いてしまった。私は彼に殺されてあげなくてはいけなかったのに。

最後まで役に立たない私でごめんなさい。でもあなたを愛してました。さようなら、私のたった一人の家族。

これは例えばの話だけど (俺つば 鳳翔)


彼女にとって鳳凰寺カケルとはあくまで自分とは関わりのない世界の人間だった。雑誌に掲載されるイラスト、出版された本を通して見る向こう側の人間。一般人である自分とは関わるはずもない存在であるからこそ、彼の作品を通して知ったその人物像を掘り下げては物思いに耽っていたに過ぎない。しかしながら様々な誤解と偶然が重なり合った結果、事態は彼女の望まざる方向へと転がり出し、彼女の力では制御することが出来ないところへと進み始めていた。
事の始まりは一人の少女が時折保健室に顔を見せるようになったこと。その少女がまさか鳳凰寺カケルの妹だなどと彼女に予想ができるわけもない。故に少女ーー鳳鳴を前にして彼の話を出した彼女を迂闊だなどと責める者は居ないだろう。更に付け加えるならば、彼女は一度として「鳳凰寺カケルに会ってみたい」などと口にしたことない。また、少女にも最初から兄と彼女を引き合わせるといった算段はなかった。たまたま休日に柳木原の街で先生と会って、たまたま近くに兄が居ることを知っていたから、普段お世話になっている先生にほんの少しお礼をしようと思ったに過ぎない。ここで少女にとって予想外だったのは、先生が兄の容姿を知らなかったということだろう。てっきりイケメンイラストレーター鳳凰寺カケルに興味があるのだと思っていたら違ったのだから。突然生徒の兄を紹介された先生は首を傾げているし、会わせたい人が居ると無理矢理連れて来た兄の機嫌は当然よろしくはなく、事態の引き金となってしまった少女はどうやってこの状況を切り抜けたものかと必死に考えを巡らせていた。

「それで鳳さん。私に会わせたい人って、こちらのお兄さんのこと?」
「あーはい、それはそうなんですけどー大事なのはそこじゃないといいますかー。この場面で言っても信じてもらえないんじゃないかなーみたいな感じでして」
「ねぇ、俺もう行ってもいい? 人待たせてるんだけど」
「かーくんちょっと黙って」

その瞬間、顔には笑みを浮かべながら少女が兄の脚を思いっきり踏み付けたことは足元での出来事であったからか幸いなことに彼女が気付くことはなかったが、目の前の青年の機嫌がますます悪くなっていることだけは伝わってしまった。家族間のことに気安く口出しをすべきではない、そこから彼女がそう結論を出すのに時間は掛からなかった。

「……ごめんなさい、この後ほかにも行かないといけないところがあるから、そろそろ失礼するわね。お兄さんのことはまた今度、聞かせて貰えるかな?」
「あ、はい、それは構いませんけど。あのー、お忙しいところをお引き止めしてしまって済みませんでした」
「いいのよ、気にしないで。それじゃあまた学校で」

立ち去る彼女を呼び止める言葉を少女は持たず、柳木原の雑踏に消えていくその後ろ姿をただ見送ることしか出来なかった。心なしか肩を落としている妹を見遣りながら「で、今の女、誰?」と問い掛けた彼が、再度脚を力強く踏み付けられたのは少女の心情を思えば是非もないことだろう。

その数日後、保健室で再会を果たした少女に対して彼女は「容姿が整い過ぎてて驚いた」と彼女の兄についてコメントをする。少女の兄ーー鳳翔が鳳凰寺カケルであることを彼女が知るのはその更に数日後のことだった。

運命の果実 (グリザイア テュポーン)


神童。幼い頃から私は周りにそう呼ばれていた。周囲が『すごいすごい』と持て囃すようなことは、私からすればできて当たり前のことであり、むしろ何故こんなに簡単なことが他の人は出来ないのかと不思議でしょうがなかった。そんな私にも、人並みに両親は居た。けれどもそんな私だから、両親は私を売り払った。両親が私を恐れいたことは知っていたから、ワインレッドのスーツに高そうな香水の匂いをまとったその男が迎えに来た時、私はそれを受け入れた。連れて来られたのは船と呼ぶには些か規模の大きい要塞のようなところだった。

「今日から君はここで暮らすといい。君にはやって貰いたいことがあるんだ。その代わり、欲しいものは何でも言ってくれ」

モイラ。私はここでそう呼ばれるようになった。男の名前はヒース・オスロ。その名前が何を意味しているのか知っていたし、自分が何をやらされているのかも理解していた。ただ、それが世界にどんな結果を生み出すとしても、私には関係なかった。自分はこの男の所有物であり、気分次第でいつ殺されてもおかしくはない。だから、死にたくないからやっていた。そんな理由ならまだましだったのかもしれない。正直なところ私には自分の生死さえどうでも良かった。今この瞬間に死んだとしても構わないとすら思っている。私の中は、空っぽだった。その中で少なくともヒース・オスロはこんな私を必要としてくれているから、彼のために『モイラ』として働くことを私は選択した。いつか捨てられることは分かっていたがそれで構わないと思っていたのだーー彼が来るまでの私は。

「モイラ、彼はテュポーン。君の弟だよ」

タルタロスでの変わり映えのない単調な日々がずっと続くと思っていた私の元に、彼は突如として現れた。ヒース・オスロが連れて来た私の『弟』。私に生き別れた弟などは居ないため、当然のこととして血縁関係はなく、黒髪黒眼の私とは似ても似つかない銀髪に赤い瞳をしていた。けれども、会ったこともない筈の彼に対してその瞬間、私は強い既視感を覚えていた。そんな私の内心を見抜いてか、満足そうにオスロが笑みを浮かべていたことが酷く印象に残った。
 初めの内はオスロに引き取られた子ども同士、という意味での姉と弟かとも考えたが、あのオスロがそんな単純な意味付けをするわけがない。その答えはテュポーンと過ごす内に自ずと理解できた。一度だけオスロに引き合わされた『風見雄二』という少年、髪と瞳の色を除いてテュポーンは彼と驚くほどに似ていた。オスロが風見雄二に執心であることは彼の周囲の人間であれば誰もが知っていることだ。良く似た人間というレベルに留まらないテュポーンが、風見雄二の何であるのか、そんなことは問うまでもなく明らかだった。

「姉さん、聞いて。今日はナイフの使い方を教えて貰ったんだ」
「それは良かったわね。オスロからは何て言われたの?」
「筋が良いって! これまでオスロが教えてきた中で二番目に入るって」
「そう。ならもっと頑張らなきゃね」
「うん、一番目の奴を抜かしてやらないとね!」

己の境遇を知ってか、彼は私を『姉』として無邪気に慕っていた。オスロが私と彼を『姉弟』としたその意味を薄々理解しながらも、私も彼に絆されるように少しずつ人並みの感情を取り戻していった。この時既に、私はこの先に待ち受ける結末を受け入れていたのだろう。